2013/11/15 (Fri) at 2:49 pm

サブカルチャーについて思った

おひまな方だけどうぞ。

サブカルチャーについて書こうと思う。うわー。すごい風呂敷を広げてしまった!と我ながらビビるが、いや、そんなに大したことを書くつもりはなくて、極私的な話なんですよ。

近年の『サブカルチャー』という言葉の意味合いは、私が知ってる『サブカルチャー』とはずいぶんかけ離れてしまった感があるので、いつしかこの言葉を使わなくなった。

なぜ違うか。どこが違うか。一言でいえば「時代の流れ」ということになる。以下の話は、多くの人にはつまらなく思える昔話かもしれないが、なつかしく思う人も多いだろうし、ここをいっとかないと話が進まないので書くことにする。

80年代のこと。

当時、私は東京に住んでて、ホラー映画ももちろん好きだったが、ニューウェイヴと呼ばれる音楽がたいそう好きだった。レコードをたくさん買って、毎月ライブにいった。その頃から『サブカルチャー』という言葉が世の中に敷衍しだした。

その頃、有名バンド(デペッシュモードやらニューオーダーやら)が来日すると中野サンプラザが定番だったが、もっとマイナーなバンドもよく日本にきてて、そいつらは原宿や六本木の小さなクラブで演っていた。また、有名バンドが、中野サンプラザでやるのとは別に、小さなクラブで演ることも多かった。プロパガンダのネーチャンにツンツン頭をナデナデされたのはよい思い出である。ライブでは目の前だから。

そして、こういったクラブのライブ情報は一般には告知されないのが常だった。ぴあに載っていないし、チケットセゾンでは買えない。それをどうやって知るかというと、お店に行って、フライヤーを手に入れるしかないのである。お店に入るとクロークの横にフライヤーの置かれたテーブルがある。ダダーと一枚づつもらう。家に帰ってからゆっくり検分し、次にどれを行くか決める。検分するといっても、知らないバンドが多く、フライヤーにはバンドのロゴ/ライブ日時/値段が書いてあるだけなので、検分のしようもない。ジャケ買い感覚でライブに行った。気に入ったらレコードを探した。

宣伝をやらずにフライヤーだけを置いて商売になるのかと思うかもしれないが、いってみると満員だったりする。好きなヤツはどうやってか嗅覚を尖らせて集まってくるんですね。

私は音楽が好きだったのでそういう経験をしたが、他のジャンル(美術や演劇等)でも似たような現象が東京じゅうで起きていた。マイナーな趣味嗜好を持つ層がたくさんできて、こんな調子で、あたかも「おれは知ってるヨ」的な顔で生息していた連中が、日本のサブカルチャーの発生源だったと思う。思い返せば、誰かが仕掛けたマーケティングに踊らされたという気がするし、子供っぽい感覚ではあるが、まぁいいじゃないの。味わい深い時代であった。

ネットがない時代は、なにをやるにも不便である。不便な壁を乗り越えて集まった人々はひとつのカテゴリを形成する。いまでいう〇〇系みたいな。聴く音楽ばかりでなく、着るもの/部屋のインテリア/読む雑誌/観る映画/その他一切のライフスタイルが共通化してくる。美容院に髪を切りにいくと、隣のイスに昨夜ライブで踊っていたヤツがいるという具合(さらに美容師も一派だったりする)。

しかし、ここからが本題なんだが、当時の私たちは無邪気に『群れる』ことをやっていたとはいえ、必ずしもそれをよしとしていたわけではなかった。それどころか、群れていると見られるのが不快だった。立ち寄った店で他の連中の顔を覚えていても、気軽に声をかけたりしなかった。あいつ、またいやがる、みたいなかんじ。

群れているけど群れたくない心理。

これが心のよりどころであり、また、悩むところでもあった。群れたくないゆえに必死でハズそうと努力し、その違いはそこらへんのひとにはまるでわからないんだが、わかるひとにはわかるかんじでハズしていきたい。群生するカテゴリの、ちょっと離れたところにポツンと立っていたい。という心理をみんなは持っていて、それがサブカルチャーの神髄(というのも大げさだが)というかですね、そこに骨身を削っていたように私には思われるのである。

昔は「サブカルチャー好きです」なんていわなかったよ。「〇〇系」なんて分類されることをことさらに嫌った。分類されるような行動をしておきながら分類されたくないというのが共通心理だった。少なくとも私の周囲ではそうだったなあ。このねじくれた心理というのは、興味のない向きにものすごくわかりづらいかもしれないが。

しかるに、twitterを始めて以来、プロフィールの欄に堂々と「サブカルチャーが好きです」とか書いてあるひとが多いから不思議に思う。そういう人は分類されることをよしとし、積極的に名刺代わりに使っているようにさえ見える。バカにしているわけではないですよ。昔と違うなって思うということです。みんなは群れることが好きなんだろうか。

私はいまホラー映画のブログをやっていて、きっとそういうカテゴリに分類されるのだろうが、それはしょうがないが、それが嫌ということでないが、いや、自分が好きなブロガーさんと並べてリンクされるとうれしいんだが、しかしながら、カテゴライズされたくない心理が常にある。幼稚と思われようが、なにかそこは自分として大事な部分だ。でもみんなはあんまりそういうことを思わないみたいだ。私は驚き、そして、サブカルチャーという言葉の定義が昔と変わっているらしいことに気づいた。

それが時代の流れなのだから、私が愛着を寄せるサブカルチャーという言葉が死んだことに大した寂寥は覚えないが、いまのサブカルチャーをサブカルチャーと呼ぶことには大きな抵抗を覚えるなあ。

うむ ........ 。

たまには昔に思いを馳せようとこんな記事を書いたが、書いているうちに、まぁ、言葉の定義なんてうだうだいってもしょうがないわ!という気がして、なんだかすっきりした。私のオナニーにつきあわせてしまってすまなかった。せっかく書いたもんを出さないというのも不健康なのでアプした。読んでくれてありがとう。

もうひとつ書いているうちに気づいたことがある。これは想像なんだが、「みんなは群れるのが好きなの?」と書いたが、それは私の間違いで、もしかして、みんなは今流のやり方でハズしているのかもしれない。私がそれに気づいてないのかもしれない。という気もする。

私は2000年あたりで東京を離れたから、以後のことは知らない。その後、私の知らないアングラ文化がきっと育っているのだろう。最近はどうですか。

いま私は音楽の方はあまり知らなくて、ホラー映画ばかり見ているが、ブログをやってるお陰で、いろんなインディーズの映画製作者と知り合うことができた。彼らの話を聞いていると、海外の映画祭はとてもおもしろそうである。私なんかとゴロチャラしているのは、インディーズの中でも最下層カーストの人たちなのでへんな映画祭ばかりだが。

そこにいかないと見れないホラー映画ってのがたくさんあるらしい。なんだかよくわからないがソソられる。昔、クラブでフライヤーを集めてイヒヒとやっていた頃のノリが思い出される。だからこんどそういうのに顔を出してみようと思っていて、新しい人生の指標ができたのはたいへん喜ばしい。私、映画祭ってもんにこれまでいったことがないんだよね。またあんなきぶんに浸れるだろうか。

私は多分この先サブカルチャーという言葉を使わないと思うが、結局のところ、やってることは昔と大して変わらないのであった。結論。言葉の定義なんてものに拘泥するのはつまらないからやめよう。

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