!!!! SPOILER ALERT !!!!
!ネタバレ注意!
本ページは『映画|トールマン|The Tall Man』のネタバレ全開です。この映画の普通の(ネタバレのない)レビューはこちらにあります↓
ネタバレ結末
少しづつ真相が明かされ、観客がぜんぶ理解するにはエンディングを待たねばならない映画なので、途中において、しばしば混乱し、これはいったいぜんたいどうなっているのだ、と叫びたくなるんだが、まとめるとこうである。
じつはジュリアとその夫が誘拐犯。息子と思われたデビッドくんはジュリアがさらってきた子供だったというわけで、それなら、さらった子供を誰がさらいにきたのであるかという疑問が出るが、その話をする前に誘拐の動機から。
さらってどうするかというと、洗脳する → 過去の記憶を消す → 別の戸籍を与える → 裕福な家に紹介する → 子供は貧乏家族から抜け出して幸せになれる → 任務完了!てのがジュリア夫婦の目的である。
重要なのは、彼らは金目的でなく、それが子供たちのためになると信じていたという点です。町医者をやっていた夫婦は、貧乏にあえぐ人々を見て心を痛めていた。子供たちには未来を与えてやらねばならぬ。そうだ!誘拐して別の家庭に送り込めばいいジャン!
そのために夫は死を偽装し、トールマンなる都市伝説を利用し、誘拐を行った。ジュリアの家には家族らしき女性がいたが、あれは誘拐一味の一員だった。エンディング近くの夫の台詞を聞いていると、大掛かりな組織的犯行であるように思える。もしかしたら夫婦はアングラ組織にスカウトされたのかもしれない。
いわば彼らは狂った博愛主義者なんですな。ジュリアの家には、夫とのスナップ写真がたくさんあり、その中に、アフリカあたりでボランティア医療活動をしている写真があった。察するに、インテリの理想主義者だったんだろうと思われ。また、彼女は逮捕された後、デビッドの母と面会する場面でこんなことをいっていた↓
「世の中のシステムは崩壊している。どうしても変えられない。子供たちが犠牲になるばかりである。私は自分があなたより優れているなんて思っているわけではない。ただ、たくさんの事実を見てきただけだ」
映画ではもっと長々としゃべっているんだが、こんな話を涙目で切々と語るジュリアさんは、まさしく『狂った信念のひと』なんですね。
ジュリアの家からデビッドを連れ去ったのは実のママだった。彼女はさらわれた息子を捜して、毎晩、森をうろついていた。したら、自分の息子がジュリアの家にいることを知ったが、警察に行かず、ダイナーのオバちゃんに話した。こんな場合、小さな町のコミュニティの常として、彼らは警察やFBIなんかを信用していないので、警察抜きで、町の人々たちだけでジュリアをとっつかまえ、子供を助けようとした。
詳しくは映画を観て下さいと思うが、ドタバタアクションの末に、ジュリアはデビッドを奪い返し、トールマン(つまり夫)に引き渡す。自分は家に残る。町の人々に家を取り囲まれ、罵倒される。そこに警察がくる。誘拐犯として逮捕される。
彼女は取り調べに対し、誘拐したことは認めたが、子供たちを殺したのか、あるいはどこかに隠しているのか、については完全黙秘。なにしろ自分は人助けをやっているという信念があるから、テコでもしゃべらない。
警察は家の地下から森に至る坑道を発見。広い坑道を捜索したが、さらわれた子供たちは見つからない。警察はなんとか聞き出そうとして、デビッドのママを連れてくる。でもしゃべらない。その代わりに話したのが上に書いたような台詞であった。
エンディング。
ジョデル・フェルランド演じる少女がジュリアの夫に連れられ、どこか遠くの町で、金持ちママに紹介される。その場面で初めて観客は「そういうことだったんですか」と真実を知るんだが、この少女は他の誘拐された子供たちとは違い、自ら志願してやってきたのです。
ジュリアが逮捕される直前に「わたしもトールマンさんと一緒にいく!」つって入り込んできたからそうなったんだが、なぜ彼女がそういう気を起こしたのか、映画の中では明確に明かされなかったと思う。彼女はひそかに『ジュリア = 誘拐犯』であると知っていたが、その先になにがあるのかまでは知らなかったんじゃないかな。エンディングの台詞を聞いていると、彼女はジュリアのことを『第2のママ』と信じていたようなので、ジュリアについていけばなにかいいことがあると直感したのかなと。
数ヶ月経過後。
ジュリアは刑務所にいる。一生ここから出られないだろう。彼女が誘拐犯だったというのは人々にとって驚きだった。彼女の夫は町の人々に愛されていたし、彼女自身も暖かい人柄だったから。警察の推論は「彼女は夫との間に子供ができなかったから、狂って、子供を誘拐してブッ殺した」くらいの話で、真相は闇の中。
一方こちらはジョデルちゃん。
彼女は新しい名前で、新しいママの元で新しい人生をやっているところ。公園を通りがかったら、デビッドを目撃する。あちらも彼女と同じように新家族といっしょにいる。幸せそうである。彼女は驚いてその姿を見つめる。むこうはジョデルちゃんの顔を見てもなにも気づかないようす。もう忘れちゃったのだろうか。
彼女の人生を振り返る台詞が長々と流れる。最後のお言葉↓
Jenny: I guess it's better this way, right? Right? Right?
これでよかったんだよね。だよね?だよね?だよね?
おしまい。
だいたいこんなかんじで合ってますかね。最後のジョデルちゃんの長台詞はすごくよかった。彼女はおいしいroleを得ましたね。
感想再び
『マーターズ (2008)』に登場したホホホ笑いのマダム率いる金持ち軍団はこんなこともやっていたのか!というのは冗談で、もちろんふたつの映画のお話に関連はありませんが、通底するテーマは似ているように感じられました。世の中のウラにはこんな狂信的な連中がいるのかも。荒唐無稽ですが。もしかしたら。まさかね。なんて。
微妙なさじかげんでジュリアという女を描いたのがよかったと思います。彼女を善人キャラに描きたければ、子供たちの親をバカ親にしておけば済む話なんだが、あえてそれをやらず、親たちは至極まっとうな人々として描かれていた。
あるいは、ジュリアというのはゴリゴリの理想主義者でプラカードが似合うような女であるか、といえばそうでもない。外面的には優しくてモダンな奥様風で、もし偶然にデビッドを見られなかったら、彼女が誘拐犯だなんて誰も気づかなかったでしょう。
エンディングを見ていると、彼女は一点の曇りなく自分が正しいと信じていて、刑務所に囚われたいま、夫を守るため、子供たちを守るため、自分はここで獄死するべきなのだ、と固く信じているようでした。それがこわくてきもちわるいなあと思いました。
そこは大変よいのですが、私は次の2点がわからないのです。
- 洗脳ってそんなに簡単にできるものなのか。その具体的な場面があれば、説得力が増したのではないか。
- デビッドの実のママがジュリアの家からデビッドを奪い返すところ。このママがわざわざトールマンの衣装でやってくるなんて変ではないか。自分の子供を取り戻すのに、なぜコスプレする必要があるのか。
いつも観ているようなバカホラー映画ならこれくらいはスルーですが、こんなシリアス路線の映画では、きちっとしてないと気になるじゃないですか。私はなにかハズしてますかね。
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