!!!! SPOILER ALERT !!!!
!ネタバレ注意!
本ページは『映画|渇き|Thirst』のネタバレ全開です。この映画の普通の(ネタバレのない)レビューはこちらにあります↓
治癒した神父様が戻ってきたら「うちの息子のガンを治してくだされー」みたいなのがわーわーくるようになった。お祈りをしてやったらば、ほんとに病気が治った。患者が自己暗示にかかったせいかもしれないが、とにかく奇跡が起きたのである。ガンが治癒した男の母親に誘われ、そこんちの下宿人になった。その家には息子とママに加え、カワイコちゃんがいる。
カワイコちゃんはかわいいけど不幸顔である。元々親に捨てられた子で、ママが自分の娘のように育てて、大きくなったらそのまま息子のヨメにしたということなんだが、それだけ聞くと美談だが、じっさいはご奉仕メイドのような扱われようである。が、継子いぢめというほどひどいもんでもなく、ママが「気だてのいい娘だ」とほめるシーンもあった。「息子のヨメになったけどたいした違いはないですよ。寝る場所が変わっただけオホホ」というママの台詞がシュール。つまり彼女は家族に愛されているんだが、それは犬ネコペットみたいな愛され方ってかんじなのですね。だからいつも悲しげな顔をしている。
神父様はまったり気分でこの家に落ち着く。家族とその友人のみなさんと交流し、麻雀を教えてもらったりするが、ある日、自分の顔にブツブツができたもんだから、がびーんとおののく。治ったはずの病魔は潜伏していたのか。無性に血液が飲みたくなり、試しにちょっと飲んでみたら、ブツブツはすぅーと消えた。彼はヴァンパイアになってしまったのだ。定期的に人間の血液を飲まないとブツブツができちゃう。でも彼は人殺しなんてできないから苦悩する。
悩んだ末、彼は病院で血液をゲットすることにした。昏睡状態の患者さんの部屋に侵入してこっそりチューチューさせてもらうんである。彼がいちばんお世話になったのは、映画の冒頭シーンで出てきたデブ男である。この男は「貧乏子供があまりに不憫だったので、ごちそうをわけてやったのです。神様はちゃんとわたしを見ててくれますよね?」という話をしてたところで、ウガーと苦しみだしてそのまま昏睡したのである。つまり、この男はとても慈悲深いので、もし彼が健康だったとしてもきっと喜んで血液をわけてくれるだろうと思ったから彼を選んだってことだが、この理屈はずいぶん勝手であるけれど、緊急事態だから仕方がないであろう。神父様はこの男に多大な恩義を感じており、体を拭いてあげたりします。
そうこうするうちに下宿のカワイコちゃんと恋仲になる。ふたりはガガーと盛りあがり、ついにsexする。そしてこわごわとヴァンパイアであることを打ち明ける。女はウギャーと逃げた。神父様は説得開始する。ナニする前は「わたしゃ聖職者なのだ」とかいってたが、いったん快楽を知ってしまうと「愛し合うふたりにどんな障害があるものか!」となる。ふたりは家族に隠れてイチャイチャするようになる。このへんになると「もういっかいする?」とかいうようになる。こうなると同居している息子が邪魔になってくる。彼女はこの男のヨメなのだ。まったく夫婦らしいことはしていないみたいだが。
いろいろあるんだが、ざっくりハショります。
神父様は邪魔な息子を殺害。さらに彼のいちばんの理解者である盲目の先輩神父を殺害。警察は息子の死を水難事故として処理した。ママはショックで昏睡。全身マヒとなる。ふたりは家にこもってsex三昧となるが、あまり幸福そうでない。殺人をした罪悪感からか、へんな幻視を見たりよくわかんない行動をする。彼女の嘘がバレてふたりは大ケンカになり、神父様はくそったれえと彼女を殺しちゃうが、その直後に後悔して自分の血液を飲ませる。彼女はヴァンパイアになる。という血塗れ修羅場はママの目前で行われている。ママは全身マヒ状態でヴァンパイアの行為を凝視している。
このシーンはじつに猟奇エロであった。いったん死んで蘇った彼女が口のまわりをケモノのようにべろりとなめるところなんかとてもいい。
ヴァンパイアとして蘇った彼女はワーイと喜んで他人をジャンジャカ襲いだす。神父様が「病院から血液を持ってくるからそういうのはやめよ」と止めたら、彼女の顔にブツブツができて血を吐くようになる。彼女は保存した血液だとだめな体質ということ?
EVというウィルスとヴァンパイア細胞との関連は映画の中では謎のままだが、最初の方で「このウィルスは白人とアジア人の独身男性だけが罹る。感染者は宣教師ばかり。この病は "Curse of Bazira" と呼ばれている」というような説明があったので、性別によって結果がちがうもんらしい。てことかなと思ったんだけど、この後のシーンでは「血液をタッパーに保存しておけばいい」とかいう台詞もあったから私はよく意味がわからない。だれか教えて。
ある日、麻雀仲間の友人たちがママのお見舞いにやってくる。ママは必死でまばたきサインを送り、愛する息子を殺したのはこのふたりであると知らせた。秘密を知った友人たちはダダーと殺された。
このシーンの少し前に、ヴァンパイアの血液がママのごはんにチョッピリまざってしまったというアクシデントがあったので、彼女がまばたきをできたのはこのせいかなと思われたが、でもその前から目玉を動かしていたし、食べ物を飲み込んでいたので関係ないのだろうか。
ふたりはチューチュー吸っておなかいっぱいになる。家の中に死体の山ができて、絶望ムード高まる。
友人たちを襲うシーンでは、女の方が積極的にガオーと襲って、神父様はいやいやながらつきあっているという調子であった。女はヒャッホーと喜んで吸血するが、途中で血液が出てこなくなる。これを憂鬱顔で見ていた神父様は「心臓が止まったから出てこないのだよ。足首をチョン切って吊るせばよい。余ったらタッパーに入れとこう」なんていうのは料理教室の先生みたいであった。
ラスト。
神父様は女を連れて海岸に行く。無理心中である。朝日が昇る。彼女は必死で逃げたがるが、ここにはおひさまを遮るものはなにもない。全身マヒのママが見守るなか、ふたりは朝日を浴びて死亡。
おしまい。
※いくつか気づいたこと。
神父様が息子を殺したあとトボトボ歩いてたらテントがあって、女の子が出てきて、そいつは「おぉおお!あの神父様だ!」と気づいて仲間を呼ぶんだけど、そのときピーッって笛を吹くんですよね。あれ、なんなの??岡っ引きみたいでした。
ラストで無理心中することを決めた神父様は途中でこのテントに寄り道し、関係ない女をいきなりレイプする。そして他の住人に殴られる。あのシーンはかなり唐突だが、あれはつまり「自分はあんたらが思ってるような奇跡の人ではない。ほんとはモンスターなのだ」ということをわからせるためにやったのかなと思うのだが、imdbのbbsを見たら同じようなことを書いてる人がいたんでやっぱそうかなと思うが、なにか別の解釈ができるかもしれない。別の理由を思いついた人は教えて。
ヴァンパイアになったふたりが家にこもるシーンでは、壁をペンキで白く塗り、カーテンをぜんぶ閉め、ビデオカメラで表の通りを映してその映像を室内のテレビに映すということをやっていたが、あれは外を監視する目的ではなく、昼間の世界を直に見ることができなくなってしまったから、あれで気分をごまかしているってことかな。たぶん。あのテレビは彼らにとっての『窓』という意味みたいな。
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