PV1,699

!!!! SPOILER ALERT !!!!
!ネタバレ注意!

ネタバレ注意!SPOILER ALERT!

本ページは『映画|サイモン・キラー|Simon Killer』のネタバレ全開です。この映画の普通の(ネタバレのない)レビューはこちらにあります↓

ネタバレ結末

傷心男のサイモンは娼婦と仲良くなり、そいつの家に転がり込む。彼女の苦労話を聞いて同情した彼は「金持ち客から大金を脅しとってやろう」と恐喝の儲け話を思いつく。

このあたりからちょっとへんだなって思うよね。この男は大学を卒業したばかりのインテリで、恐喝をやるなんてガラじゃない。思いつきでやってるみたい。ふたりは予定通りに大金をゲットしたが、その後にこわい男たちにボコボコにされる。

このへんでサイモンは別のカワイコちゃんに出会う。彼女は最初にチラと出てきた親切娘なんだが、偶然に町で再会して、仲良くなる。彼はそっちにデレデレいっちゃう。家に帰ってこないから、娼婦にバレて具合が悪くなる。

この男はやることなすこといきあたりばったりで、嘘をついてその場を丸く収める能力だけは異常に高いという困ったヤツなのです。責任感ゼロ。良心ゼロ。それでいて自分が他人からどう見えるかという点には人一倍の注意を払い、自分をよく見せるためにホイホイ嘘をつく。

でもそんなのは長続きしない。ぜんぶバレて、娼婦と大ケンカ。彼女はこの男の本質が完全にわかったんですね。ここでサイモンは逆上ドッカーン。彼女をボコボコにしちゃう。家を飛び出し、あっちの女の家に泊めてもらおうと思ったが、そっちでも相手にされない。

最後は完全どんづまりでひとりぼっちになる。そこで娼婦の家にアクセサリを置いてきたことに気づいた。もしかしたら殺しちゃったのかも。あれが見つかったら警察に追われるかも。

という事態において、彼は「ママー」つって泣きべそをかくのである。哀れというかバカというか。ほんとになんにも考えてない野郎なのです。自業自得。

彼はほんとに殺しちゃったんですかね。映画の中では血塗れで横たわる彼女の姿が何度も出てくるのです。その様子からして死んでるように見える。死体が発見されたら彼が一番に疑われるよね。

翌朝。

サイモンはこわくなって国外脱出。彼が駅を歩いている場面では、フラレた恋人に向けた彼の手紙が朗読される。その内容は相変わらず未練タラタラであり、巧妙な嘘と虚飾に満ちている。税関で係官にいろいろ質問される。適当に返事をするが、ここでもへんな嘘をつく。虚言癖。係官はパスポートを見て、なにやら調べている。

もし警察が死体を発見していたら完全にアウトだよね。出国させてもらえないよね。逮捕されるよね。どうなるんだろ。

と思ったら、娼婦がガバッと息を吹き返す。彼女は気絶をしていただけだった。サイモンは知らないけど、観客にはそれがわかる。と同時に、係官はパスポートを返して「いってヨシ」と送り出した。

脱出成功。ふぅ。

おしまい。

この映画はなんだったのか

てわけで、見栄っぱりの嘘つき男が口八丁でネーチャンをコマしたが、ぜんぶバレて、愛想を尽かされ、行き場を失い、ママに泣きすがり、途方に暮れ、逃亡した。というだけの話ではないか。どうしてこんなものを1時間以上もかけて見続けなくてはいけないのか。ばかやろう。

といいたくなるんだが、サイモンという男のやってることをよーく観察すると『サイコパス』の特徴にズバッと当てはまるんですよ。ぞっとする↓

サイコパスは社会の捕食者(プレデター)であり、極端な冷酷さ、無慈悲、エゴイズム、感情の欠如、結果至上主義が主な特徴で、良心や他人に対する思いやりに全く欠けており、罪悪感も後悔の念もなく、社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手に欲しいものを取り、好きなように振る舞う。その大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者である。北米には少なくとも200万人、ニューヨークだけでも10万人のサイコパスがいると、犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは統計的に見積っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/精神病質

監督さんはこのようなサイコパスの特徴をかなり意識的に演出をしている。上に書いたあらすじを読んだだけでも、いくつかあてはまるのがわかると思うが、映画を観るともっと細かい点がわかる。細かい演出がいちいち符合するからおもしろい。

また、監督さんが考えついたであろうサイコパスの特徴みたいな場面もある。変態ぽいsexを好むとか、へんなオナニーの仕方とか。これらはどこかに元ネタがあるのか、あるいは、監督さんが考えついたのか知らないが、いずれにしても、サイコパスの属性として描写しているのだろう。

サイモンはベッドの横に立ち、ラップトップを片手に持ち、チャットしながらオナニーをするんですよ。器用なヤツだなあと呆れたが、あれは監督さんが考えついた『サイコパスのオナニー法』なのかなって思った。

そして後半クライマックスには、犯罪に最も近い点である『暴力衝動』をあらわにする。サイコパスであることは犯罪者であることを意味しないが、暴力をふるったことで、彼は『サイコパス気質の犯罪者』になった。観客だけがそれを知っている。

そしてあのエンディング。

最後に『娼婦は死んでなかった』という点を観客は知るけれども、これはハッピーエンディングではない。彼女にとっては幸運だったが、観客にとってはじつに収まりが悪い話だから。

もし彼女が殺されていれば、サイモンは警察にマークされていただろう。でも、死ななかったことで、彼の暴力は表面化しない可能性が高くなった。サイコパスはこんな風に誰にも気づかれず群衆に紛れ込んでいる。世の中にはサイモンみたいな男がウヨウヨしている。あなたの身近な人の中にいるのかも。

そんなイヤーな余韻を漂わせて終わるのです。背中に氷の棒を差し込まれた気がしたなあ。あー、きもちわるい。嫌なもんをつくりやがって。おもしろいじゃないか。

サイモンの台詞

サイモンは医学の大学を卒業したばかりで「自分の専門は神経医学でその中でも脳と目をつなぐ神経についてである」という自慢台詞が何度も出る。これ↓

Simon: My thesis project was about peripheral vision. It dealt with something called crowding and size pooling, how the width of one object is given a weighted average of the objects around it. Um, the effect is called size pooling. It was published, actually.

どうせこれも嘘なのだろうという気がするが、嘘にせよ本当にせよ、これは映画の主題につながる台詞なのだろうと思い、注目したんだが、医学の専門用語だらけで意味がわからない。size poolingってなになになになに?

これは自力で解決するのは無理なので、アメリカ人の友達に質問した(Thanks to @usagi)。そしたら医学関係の文献を調べて返事をくれたんだが、これまた難解である。

物体Aを見ているとする。その視界の中に別の物体Bが入ったとする。すると人間の脳は自動的に物体Aのサイズを調整する働きがあるそうなんですよ。錯覚の一種なんですかね。人間の脳がもたらすこのような機能をsize poolingという。対象物の周辺に別の物体があると視覚認識が影響されるというのかな。こんな説明でいいのだろうか。ぜんぜん自信ない。

映画の中でこの台詞を聞かされた人たちはポカーンとしていたし、教えてくれたusagiは何度も文献を読み直したというくらいなので、誰にとってもものすごく難解なのだろう。んで、ま、とにかく、size poolingてのを『人間の脳が視覚にもたらすある種の不思議な機能』であると仮定してですね、次のような仮説を考えついた。

仮説その1。

世に埋もれるサイコパスはこのような人間の脳の機能を先天的に知っている。そして本能的に利用している。他人を欺くために。自分をよりよく見せるために。

仮説その2。

人間の認識というのはかようにあいまいなものであるから、サイコパスを見つけるのは容易でない。そんな意味を込めた暗喩である。

仮説その3。

上のふたつは大間違い。なにか別の意味がある。

後日追記。

上に書いたようなことでだいたい合っていたみたい。褒めてもらった↓

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