PV5,663

!!!! SPOILER ALERT !!!!
!ネタバレ注意!

ネタバレ注意!SPOILER ALERT!

本ページは『映画|私はゴースト|I Am a Ghost』のネタバレ全開です。この映画の普通の(ネタバレのない)レビューはこちらにあります↓

ネタバレ結末

エミリーはシルビアのお陰で徐々に自分が死んだことを思い出す。彼女は「こわい男に追いかけ回され、捕まり、ナイフで何度もメッタ刺しにされて殺された。おそろしかった」という話をするんだが、じつはこれは事実ではなかった。

彼女は解離性同一性障害(いわゆる多重人格)だった。本人は殺されたと思っているが、実際のところ、自分の中に潜む他人格に殺されたのである。そっちはものすごく邪悪な人格。本人はぜんぜん覚えていない。すなわち、ありていにいえば、自分で自分を殺した。自殺をした。これが真相だった。

エミリーは子供の頃から奇異な行動を繰り返していたらしい。急に意識がなくなったのち、ふと気づくとヒデーことをやらかしているということがしばしばあった。妹の首を絞めていたときもあった。そんな子供だったので、母親にも疎まれ、ある日、家に捨てられちゃったらしい。おそらく悪魔憑きのような扱いを受けたのだろうと思われ。

んで、彼女があの世にいけないのは、自分の記憶を取り戻せないからである。というんだが、いま書いた『記憶を取り戻せない』という記述は、私が試みた『翻訳』であり、そして、あまりよい翻訳とはいえない。映画の中では、霊媒師シルヴィアは、「memory, scent, imprint, impression」といったワードを使って説明をするんだが、私はうまく訳せないのである。強いていえば『記憶及び残余及び印影のようなもの』というかんじだろうか。

以上の秘密をエミリーはシルヴィアの助けを借りて学んでいく。エミリーにしてみれば、驚愕の事実である。最後は、邪悪な人格てのがうわーと出てきて(リック・バーカート)、自分が自分を殺す場面を目撃する。ものすごくおっかない。

彼女はギャーギャーわめいて、シルヴィアに助けを求める。「光を探しなさい。そっちにいきなさい」という霊媒師の声が何度も聞こえて、必死で光を探すが、見つからない。どうしよう!どうしよう!どうしよう!

というところで映画は終了する。彼女が無事に『光』にたどりつくことができたかどうかは、観客にはわからない。

以上、簡単なまとめです。詳しいことは映画を観てください。

感想再び

エミリーの潜在的邪悪人格、最後に出てくる怪物についてだが、あれはなんだったのか。シルヴィアはdemonという言葉を使っていたし、また、生きていた頃のエミリーは憑依少女のような具合だったのだろうと想像されるので、私は、最初のうちは、「彼女は悪魔憑きだったんだな」と思ったんだが、最後までみたら「ちがう」と思った。あれは単なる多重人格だったんじゃないのかな。自分の中の善と悪が乖離してしまったというような。以下はその理由である↓

1. 最後の場面で怪物は怯え顔になる。あれが悪魔ならそんな風になるわけがない。

2. 善なるエミリーはきれい好きで几帳面な性格である。こういう人は自分の中に悪の存在を認めたくない欲求がことさらに強いゆえ、こんな精神病になりやすいんじゃないかな。

また、以下の疑問点が頭に浮かんだ↓

この映画は人間の記憶とか残余といったようなもの(memory, scent, imprint, impression)をオバケの正体であるという風に、おぼろげながら定義しているが、私には、その論拠が弱いように思われる。人間の記憶というのは曖昧なのだから、覚えていないからオバケになるという論法が通用するならば、死んだ人の大半はオバケになってしまうのではないか。また、この映画の理屈に沿うならば、キチガイが死んだらぜんぶオバケになってしまうということになるではないか。

なんてことをあとから思った。もう一度見たらまた違う風に思うかもしれない。この映画を誰かと一緒に観てから、うだうだとそんな話をしたら、楽しくて時間が経つのを忘れるだろう。

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